2016年02月11日
「偶数と奇数」の教え方☆
改めて「子どもシュタイの教育」と、いま学校や家庭で行われている「一般教育」の違いに気づかされたので、書いておきます。
「子どもはすでに自ら育つ種を持っている」と考えるのか、「子どもはまっさらな空の容器だ」と考えるのか。
「ふしぎだなぁ・・・」世界の謎に子どもが気づくのを待つのか、「分かった?覚えてね!」と知識を教えようとするのか。
これは個人への批判ではなくて「気づきのきっかけをいただいたエピソード」として紹介しますね。
ある方に相談されました。
「偶数と奇数の違いを子どもに聞かれて、どう説明すれば良いのか分からないんです。」
そこで、さっそく下のフォルメンを一緒に描いてみました。

円のうえの点の数を変えて、何度でも楽しめるフォルメン線描です。
そのうち、子どもが気づきます。
「なんだか2つのグループがある。」
>へぇ〜。そうなんだね。
と答えるのか
>そうだよ。これが「偶数と奇数」だよ。分かった?覚えてね!
と答えるのか。
ここが運命の分かれ道☆
せっかくシュタイナー教育で行われているフォルメン線描を描いても、大人が後者の「分かった?覚えてね!」を言ってしまったら、台無しです。
ぜひ、前者の
>へぇ〜。そうなんだね。
と、謎はナゾとして、子どもの内で温めてあげて下さい。
しばらくしたら(場合によっては何年か後に)それが「偶数と奇数」と呼ばれていることに気づきます。
学校でも5年生ぐらいで習います。
そのとき、子どもたちに
>わたしは「偶数と奇数」と親しくしていた。彼らを知っていた!
という喜びに満ちた驚きを体験して欲しいのです☆
結論を与えるのを急いで
>そうだよ。これが「偶数と奇数」だよ。分かった?覚えてね!
なんて、言わないで下さい。
子どもから「学ぶ喜び」を奪うことになります。
学ぶ喜びを知っている子どもは、みずから楽しんで学びます。
============
学ぶことは、子どもの遊びのひとつです。
子どもの遊びは、すべて、学びです。
============
ままごと遊びも☆学び。
おやつの分けっこも☆学び。
結論を先急いで注入する
「分かった?覚えてね!」
は、苦行・・・。
大人の意識が変わること
これが必要だと思うのです:)
「子どもはすでに自ら育つ種を持っている」と考えるのか、「子どもはまっさらな空の容器だ」と考えるのか。
「ふしぎだなぁ・・・」世界の謎に子どもが気づくのを待つのか、「分かった?覚えてね!」と知識を教えようとするのか。
これは個人への批判ではなくて「気づきのきっかけをいただいたエピソード」として紹介しますね。
ある方に相談されました。
「偶数と奇数の違いを子どもに聞かれて、どう説明すれば良いのか分からないんです。」
そこで、さっそく下のフォルメンを一緒に描いてみました。

円のうえの点の数を変えて、何度でも楽しめるフォルメン線描です。
そのうち、子どもが気づきます。
「なんだか2つのグループがある。」
>へぇ〜。そうなんだね。
と答えるのか
>そうだよ。これが「偶数と奇数」だよ。分かった?覚えてね!
と答えるのか。
ここが運命の分かれ道☆
せっかくシュタイナー教育で行われているフォルメン線描を描いても、大人が後者の「分かった?覚えてね!」を言ってしまったら、台無しです。
ぜひ、前者の
>へぇ〜。そうなんだね。
と、謎はナゾとして、子どもの内で温めてあげて下さい。
しばらくしたら(場合によっては何年か後に)それが「偶数と奇数」と呼ばれていることに気づきます。
学校でも5年生ぐらいで習います。
そのとき、子どもたちに
>わたしは「偶数と奇数」と親しくしていた。彼らを知っていた!
という喜びに満ちた驚きを体験して欲しいのです☆
結論を与えるのを急いで
>そうだよ。これが「偶数と奇数」だよ。分かった?覚えてね!
なんて、言わないで下さい。
子どもから「学ぶ喜び」を奪うことになります。
学ぶ喜びを知っている子どもは、みずから楽しんで学びます。
============
学ぶことは、子どもの遊びのひとつです。
子どもの遊びは、すべて、学びです。
============
ままごと遊びも☆学び。
おやつの分けっこも☆学び。
結論を先急いで注入する
「分かった?覚えてね!」
は、苦行・・・。
大人の意識が変わること
これが必要だと思うのです:)